MK グループトップの中の採用情報の中の指導員②
西五条営業所 本橋 清司 指導員

昭和12年生まれ 茨城県出身
平成元年1月 MKに入社
平成11年10月 指導員に採用
趣味:将棋、釣り
「趣味のおかげでMKでも仲間が増えました。将棋は負けてばかり。でも、釣りはMK十条営業所のクラブで一番の大物を釣りました」。
MKタクシーでは、新人を教育する「指導員」がいます。ドライバーとしての実績を積んだ者が指導員となり、新人ドライバーが一人前になるまで、指導や仕事上のアドバイスをしています。
今回は、本橋清司指導員に、ドライバー時代の体験や新人教育の指導について話を聞きました。
これからはお客様に目を向ける時代
平成元年にMKに入社した本橋指導員。当時、値下げ闘争で全国の注目を浴びていた。値下げを許さなかった国を相手に提訴した裁判で、昭和60年MKが全面勝訴。平成元年には、国がMKの功績を認め、和解成立。平成5年には、全国初の値下げタクシーを運行させ、MKがその象徴となった「規制緩和」が流行語大賞・金賞に選ばれた。
「あの頃最も印象に残っているのは、京都駅前で創業者・青木定雄会長(当時)が街頭演説されていたことです。MKだけでなく他のタクシー会社のドライバーに呼びかけるのです。『これからはお上ではなく、お客様に目を向ける時代』、『一緒に、タクシー運転手の社会的地位を上げよう』、『運ちゃんと言われて侮蔑されるのではなく、陸のパイロットと呼ばれて尊敬される存在にならんといかん』と。それを聞いて、どうすればお客様に信頼されるドライバーになれるのか、考えたものです」。


値下げタクシー出発(平成5年)
何が縁となるかわからない
入社のきっかけは、家族のためにお金が必要だったから。「娘が京都の国立大学に現役で合格。でも妻を亡くしたんです。その頃、私はしっかりした仕事をしておらず、妻が経営する店が頼りでした。娘を大学に通わせてあげないと父親失格だと思い、京都に仕事を探しに行ったところ、十条にあったタクシードライバー募集の看板を見てMKに入社しました。娘の大学在学中だけは続けようと考えていた仕事も、結局10年近く続けることができました。おかげで、娘に恨まれずにすみました」。
高血圧症などから来る腰痛に悩まされ、平成9年にやむなく一旦退社したが、「ドライバーとしての期間は、短い中にも、人生の機微を学んだ時期でした。お客様一人一人との出会いが、どんな縁をもたらすかわからない、面白い仕事でした」。
「まだ新人だった頃、大きな荷物を持ったご夫婦を、教わったばかりのドアサービスをして、旅館までお供しました。その夜、旅館から電話がかかってきました。明日からの2日間、観光案内をしてほしいとご夫婦から指名をいただいたのです。歴史が好きだったので、観光ドライバーは憧れでしたが、普通は新人にはさせてもらえないものですから、とても光栄に思いました。ご夫婦はドアサービスに感動して、私を指名されたとのことでした」。
「腰痛の療養中に、MKから指導員として働いてほしいと声がかかったとき、お客様に信頼される喜びを、新人ドライバーにも伝えていきたいと思いました」。
何が縁となるかわからないから、一つ一つの仕事を大切にしていたという本橋指導員。「朝一の病院にお送りする仕事、特に身体障がい者や足の悪いお客様を、優先して覚えました。他の人よりも積極的に仕事を受けるうちに、お客様には『親切なドライバー』と評価されて、次の仕事の指名をいただいたり、社内でも『頼りになる』と信頼され、長時間の観光や大きな仕事を任されるようになりました」。
「自分の経験から、今でも新人には、人がやりたがらない仕事やしんどい仕事こそ、喜んでしなさい、と指導しています。コールセンターからの配車指示を、嫌だとキャンセルしたがるドライバーもいますが、もったいないと思います」。
MK研修では車いすも取り扱う
指導員を始めた頃はまだまだ未熟だったと語る。「教習生の洗車を指導していたとき、手を後ろに組んで横柄な態度をとっていたんです。そこをたまたま通りかかった役員から『本橋君、教習生ががんばっているんだから、その態度はないよ』と注意を受けました。はっとしましたね。上から目線でいた自分に気がつきました」。
「その当時よく『鬼の指導員』と呼ばれていましたが、単に恐れられるだけの指導員は未熟でした」と指導の難しさを話してくれた。
「指導員として教習生と同じ立場、目線で指導しないといけません。特に新人は不安や緊張をしているのだから、やさしく、仲間意識で接することも大切です。だからいろんな相談に乗ります。売上、接客、あまり深入りはしませんが私生活まで、相談内容も様々です」。
「指導員も、いろんな人に出会える、ありがたい仕事」と笑顔で話す。
「MKに入社してくるのは、いろんな人生の方。20代から50、60代の方まで。それぞれの方がいろんな経歴を持っているので、指導するこちらもいつも新鮮な気持ちでいられます。特に、大学を卒業して新卒採用する『新卒ドライバー』の出陣式に立ち会うときは、希望に満ちあふれた若い人の元気をもらえる気がします。私の若さの秘訣は、これですね」。
大学を卒業した「新卒ドライバー」の出陣式
「まだ新人だった頃、大きな荷物を持ったご夫婦を、教わったばかりのドアサービスをして、旅館までお供しました。その夜、旅館から電話がかかってきました。明日からの2日間、観光案内をしてほしいとご夫婦から指名をいただいたのです。歴史が好きだったので、観光ドライバーは憧れでしたが、普通は新人にはさせてもらえないものですから、とても光栄に思いました。ご夫婦はドアサービスに感動して、私を指名されたとのことでした」。
「腰痛の療養中に、MKから指導員として働いてほしいと声がかかったとき、お客様に信頼される喜びを、新人ドライバーにも伝えていきたいと思いました」。
人がやりたがらない仕事こそ喜んでする
何が縁となるかわからないから、一つ一つの仕事を大切にしていたという本橋指導員。「朝一の病院にお送りする仕事、特に身体障がい者や足の悪いお客様を、優先して覚えました。他の人よりも積極的に仕事を受けるうちに、お客様には『親切なドライバー』と評価されて、次の仕事の指名をいただいたり、社内でも『頼りになる』と信頼され、長時間の観光や大きな仕事を任されるようになりました」。
「自分の経験から、今でも新人には、人がやりたがらない仕事やしんどい仕事こそ、喜んでしなさい、と指導しています。コールセンターからの配車指示を、嫌だとキャンセルしたがるドライバーもいますが、もったいないと思います」。

MK研修では車いすも取り扱う
「鬼の指導員」は未熟だった
指導員を始めた頃はまだまだ未熟だったと語る。「教習生の洗車を指導していたとき、手を後ろに組んで横柄な態度をとっていたんです。そこをたまたま通りかかった役員から『本橋君、教習生ががんばっているんだから、その態度はないよ』と注意を受けました。はっとしましたね。上から目線でいた自分に気がつきました」。
「その当時よく『鬼の指導員』と呼ばれていましたが、単に恐れられるだけの指導員は未熟でした」と指導の難しさを話してくれた。
「指導員として教習生と同じ立場、目線で指導しないといけません。特に新人は不安や緊張をしているのだから、やさしく、仲間意識で接することも大切です。だからいろんな相談に乗ります。売上、接客、あまり深入りはしませんが私生活まで、相談内容も様々です」。
指導員はいつも新鮮な気持ち
「指導員も、いろんな人に出会える、ありがたい仕事」と笑顔で話す。
「MKに入社してくるのは、いろんな人生の方。20代から50、60代の方まで。それぞれの方がいろんな経歴を持っているので、指導するこちらもいつも新鮮な気持ちでいられます。特に、大学を卒業して新卒採用する『新卒ドライバー』の出陣式に立ち会うときは、希望に満ちあふれた若い人の元気をもらえる気がします。私の若さの秘訣は、これですね」。

大学を卒業した「新卒ドライバー」の出陣式
(取材日:平成25年12月13日)