採用情報

八幡営業所勤務 品田 和男 指導員

品田
昭和15年生まれ 新潟県出身
昭和48年5月 MK(桂タクシー)に入社
労働組合書記長、整備部長、渉外部長、教官などを経て
平成20年5月 八幡営業所の指導員に就任
趣味:ウォーキング
「健康維持のため、休日は朝6時から町内約4㎞を歩きます。周りの田んぼの景色を見ることも楽しみです」

 MKタクシーでは、新人を教育する「指導員」がいます。ドライバーとしての実績を積んだ者が指導員となり、新人ドライバーが一人前になるまで、指導や仕事上のアドバイスをしています。
 今回は、八幡営業所勤務の品田和男指導員に、ドライバー時代の体験や新人教育の指導について話を聞きました

ドライバーが主役 


 品田指導員が入社したのは昭和48年。当時からMKという言葉は使われていたが、会社としてのエムケイ株式会社は昭和52年にミナミタクシーと桂タクシーが合併して、社名変更したものだ。「MK」とはそれぞれの会社のアルファベットの頭文字をとった。
 「私が入社した桂タクシーは、京都の中でもお客様の評価は最低レベル。どんなに頑張って車を走らせてもお客様から避けられ、後ろの他社タクシーがお客様を乗せていくという状況でした。この状況を打破しようと動いたのはドライバー自身です。お客様を確保するために自分たちで駅前で街頭演説したり、タスキをかけてチラシを配ったり、企業へ営業に回ったりしたものです」。
 忙しい日々だったはずだが、次のように話す。「今以上に、仕事をしていて達成感がありました。人生をかけて、覚悟してタクシー業界に入ったから、できたのでしょう。また、仕事は厳しかったのですが、その分収入もよくなったのです。入社当初、周りでも月給3~4万円が当たり前(当時のMK小型初乗は150円)だったのが、数年経つとひと月で38万円を売上げ、30万円の給与(MK初乗270円の時代)を持って帰りました」。
 そこまで話すと、品田指導員はドライバーを大切にする会社だと感じたエピソードを思い出した。「私は入社1年目からマイホームがほしいと思いました。会社が住宅地一画を購入して社員に分譲したMK団地の話も聞いていました。でも2年前のことでもう空きがありません。そこで同僚と一緒に創業者・青木オーナーへ相談に行きました。するとその場で、不動産会社の社長に連絡し、値引き交渉や、頭金やローンの話を進めるのです。1年目の新人にそこまでしてもらえるなんて思ってもみませんでした」。

羽束師
昭和46年伏見区羽束師に完成したMK団地は完売して空き家はなかった

MKの力は団結力


 MKのすごさは社員一丸となって動いたことだと、いくつか印象に残った出来事を語った。
 「昭和53年、社員全員が日赤の救急員資格を取得しようとしたときのこと。当時はタクシードライバーなんて見下される存在でしたから、自分たちはすごいことをやっているという自信につながりました。ですから20時間以上の講義も皆が目を輝かせて受けていましたし、脱落したものはいませんでした」。
 「昭和57年、MKが運賃値下げ申請を行ったときのこと。社員皆で市民の声を集めることにしました。約8万名もの署名を集めることができたのです。私がドライバー代表としてその署名を大阪陸運局に提出したときは、誇らしく思いました」。
 「そして最も苦労し印象に残っているというのが、「平成元年、大阪に『ステーションMK』というMKタクシー待合施設を建てたときです。お客様を奪われてなるまいと大阪の他社からものすごい反対運動がおこり、私は労働組合の書記長として毎日対応に追われました。MKの車がパンクさせられるなど嫌がらせは後を絶ちません。当時私の睡眠時間は3~4時間。それでも、現場のドライバーの我慢、組合員の協力を思うと耐えられました。大阪業界との交渉に当たったときには、金で解決させようとの話を持ちかけられましたが、それまでのドライバーの苦労を見ていたのできっぱり断りました」。
 「ついには大阪他社の側が引くことになりました。MKの団結力が、数や金に勝る大連合を押し退けたのです。社員皆が将来どうあるべきか理想を描き、会社や家族(MK婦人会)とその理想のために、3者で強固なスクラムを組んだのです」。
ステーションMK
平成元年に完成した「ステーションMK」はアートギャラリーを設けたタクシー待合所

反対運動
反対する大阪業界の他社がMKタクシーを取り囲み妨害する
(顔にぼかしを入れています)


ドライバーの目線で教える


 安全指導室渉外部部長を務めた品田指導員は安全運転の新たな取組みを次々と生み出した。「事故・違反・苦情のないドライバーを『SD優良社員』として表彰する制度を作りました。ドライバー出身の私だから提案できたのだと思います。ドライバーあっての会社ですから、ドライバーのやる気が出るように、罰を設けるだけではだめだと考えました。今でも続く制度で、多くの社員が表彰されることを目指して努力をするというよい効果が出ています」。
 「取引先企業での取り組みをヒントに考えたのが『多段発進』です。これも今日まで続くもので、安全運転のスローガンに取り入れ唱和させ、毎日出庫時に実践させて送り出します。習慣にすることが大切です」。
 制度設計や指導に当たり大切なのは、ドライバーの立場になることだと言う。「あなたのために真剣に怒るということが必要です。中途半端に怒ると、伝わりませんし、かえって反感を買うものです。また、年の功で、この人にはどこまで強く怒って大丈夫かがわかるようになってきました。厳しくしすぎて、その人をつぶしてしまってはいけませんから、そのポイント、その人の個性を見抜かないといけません」。

多段発進は、①停止線できっちり停車。②相手に自車の存在を認知させるため、フロントバンパーが出る程度まで前進し再度停車。③左右の安全確認ができるところまで前進し再度停車、前かがみで安全を確認し通過する


多段発進チェック
車庫出口にわざと車で死角を作る。「多段発進・前かがみで通過する癖をつけています」

新人に教える冬の注意点


 最後に、今新人に教えていること、伝えたいことを聞いた。
 「これから冬の時期はスリップに注意することです。橋でも一つずつ違いますから、経験を活かし凍結しやすい橋、しにくい橋を、新人には教えています。高速道路の高架も凍結しやすいので注意です」。
 「雪道の走行ではできるだけ止まらないことがポイントです。信号を見ながらスピードを調節します。朝など道がすいているときはそれができます。それでもスリップしたら、滑った方にハンドルを切ることです。あわてて反対に切らないこと。体勢を立て直してから方向を変えればよいのです」。
「凍結防止剤が散布されることがありますが、塩化系の薬品ですので、鉄などは錆さびやすくなります。ですから、タイヤホイールなどこまめに洗うことが大切です」。


(取材日:平成26年11月19日)